New「ブログ5周年記念」を公開

ミニマリズムの再考

あるミニマリストの物語_6章ミニマリズムという響き ミニマリズム

このブログを始めて早半年が経過しました。

ミニマリストのブログミニマログということで立ち上げたこのブログも、今ではブログを書くのがすっかり習慣化してまして、僕のライフワークの一つとなっています。

そんなミニマログですが、半年経って、僕の中でミニマリズムに対する考えがアップデートされた部分がありました。

今回は自分への備忘も兼ねて、現時点での僕のミニマリズムに対する考えを再整理してみたいと思います。

何を目的にミニマリズムを実践するか?

あるミニマリストの物語_表紙

ミニマリズムやミニマリストについて語る上でまずはっきりさせておきたいのが、ミニマリズムを実践する「目的」です。

僕はミニマリズムによって、「時間」「お金「スペース(空間)」「思考」などのリソースを浮かせることができると考えています。

その浮いたリソース自分のパッション(=情熱を持って取り組みたいこと)に投下すること。これが僕のミニマリズムの目的です。

ちなみに僕のパッションは「書くこと」で、最近は小説の書き方なんかを勉強したりしております〜。

僕はこの「目的をはっきりさせる」ということは、「何をどれくらい捨てるか」などといった事よりも遥かに重要なことだと考えています。

なぜなら、目的を何にするかで、ミニマリズムに対する取り組み方判断基準全く変わってしまうからです。

ミニマリストの方々を見ると、ミニマリズムに取り組む目的は、人それぞれ結構異なっているように見えます。

例えばこんな感じで。

目的の一例
  1. お金の無駄使いを減らしたい
  2. どこまで最小限で暮らせるか試したい
  3. 住空間をスッキリさせてインスタ映えさせたい
  4. 憧れのミニマリストみたいになりたい
  5. ミニマリズム自体をビジネスにしたい

などなど。

このとき、2の最小限で暮らすことが目的の人は「ベッドは捨てるべき」と主張するかもしれません。しかし恐らく1のお金の無駄使いを減らすことが目的の人にとっては、その主張は受け入れがたいものでしょう。

理由は簡単で、ベッドを捨ててもお金の無駄遣いが減るわけじゃないので、1の「お金の無駄遣いを減らす」という目的には紐づかないからです。

ベッドはあくまで一例ですが、それぞれの目的毎に、ミニマリズムへの取り組み方は全く違ったものが考えられます。

だから僕はまず最初に、自分の目的は「リソースを生み出しパッションに取り組むことである」ということをはっきりさせておきたいと思います。

判断基準=目的×価値観

あるミニマリストの物語_パート2残ったもの

何を減らすべきか、何が自分にとっての最小限なのか。

これらを判断するには、目的価値観をセットで考える必要があります。

目的と価値観

僕の目的はすでに述べた通り「リソースを生み出しパッションに取り組むこと」。

つまり目的から考えると、自分に投げかけるべき問いは、

  • 何をどれくらい減らせば、リソースを増やせるか?
  • 何をどれくらい減らせば、パッションに繋がるか?

の2点になります。

しかしこれだけでは不十分です。

目的だけを見ていると、他にもあるであろう大切にすべきものを見失ってしまう恐れがあるからです。

例えば「パッションに全てを捧げすぎて睡眠時間を削った結果、体調を崩して何もできなくなる」とか(この場合は「健康」を失っていることになる)。

このような誤った判断をしない為にも、目的の下には価値観という土台が必要です。

僕の価値観の土台は、家族・お金・健康です(あくまで僕の価値観です)。

これは過去の記事で価値観のピラミッドとして紹介したものですが、このピラミッドの四段目(家族の上)にパッションを追加する形にアップデートしたいなと考えています。

価値観のピラミッド

簡単に言うと、「健康」は健康である状態、「お金」は最低限暮らせるお金と不利にならないレベルのお金リテラシーがある状態、「家族」は健全な家族との絆・繋がりがある状態を意味します。

またこのピラミッド構造は、下のベースが崩れると上の実現が危うくなるということも意味しています。

これらの土台があって、初めてパッションに取り組めると考えます。

判断基準

あるミニマリストの物語_8章厳選された生活

つまり、何を捨てるか、あるいは何を買うかを判断する際は、上記の目的価値観に基づいてジャッジする必要があります。

今一度自分に投げかけるべき問いを整理すると以下のようになります。

  • 何をどれくらい減らせば、リソースを増やせるか?
  • 何をどれくらい減らせば、パッションに繋がるか?
  • それは家族関係に良い影響を及ぼすか?(または悪影響を及ぼさないか?)
  • それはお金周りに良い影響を及ぼすか?(または悪影響を及ぼさないか?)
  • それは健康面に良い影響を及ぼすか?(または悪影響を及ぼさないか?)

これらを総合的に考えて、何を捨てるか、買うかを決めることになります。

ちなみに僕はベッドを捨てたミニマリストです。

ベッドを捨てればベッドでダラダラ過ごす時間を減らすことができ、浮いた時間をパッションに投下できるし、空いた空間でトレーニングする(=健康維持)こともできる。
家族やお金まわりには何も影響は無いし、ベッドで寝なくても健康面に悪影響がない(というかベッドの方が健康になるというエビデンスがない)と判断したので、捨てたということになります。

まぁこんな説明しても結局変人と思われるのがオチなので、現実ではこんなこと絶対説明しませんがw

余談

余談ですが、少し考えただけで、この目的×価値観の組み合わせは人の数だけ無数にあるということがわかります。

ネット上で度々目にする「◯ ◯は捨てるべき」みたいな議論は、この目的意識と価値観が違うもの同士が、互いの主張をしているに過ぎないのかなと思います。

目的と価値観が違えば、主張が相入れない部分が出てくるのは当然のことでしょう。

なので「◯ ◯は捨てるべきか」みたいな問いに対しては、僕としては特に意見は無く、「それが目的と価値観に合ってれば良いんじゃない?」といった感想しか出てこないです。

少しだけ、でも飛びっきり良いものを

ジェイエムウエストン180

すでに述べた通り、僕のミニマリズムの目的は、所有物を限りなくゼロに近づけて限界に挑戦するみたいなことではありませんから、「何を捨てるか」と同じように「何を買うか」も重要になってきます。

そこで僕が気に入っている考え方が、このブログのサブタイトルにもなっている「少しだけ、でも飛びっきり良いものを」というものです。

アンティークシューホーン

僕はモノに深く感動することができるのですが、このモノに深く感動できるというのは誰もができることではなく、一つの能力・強みだと捉えています(ちょうど、アートに感動する人と感動しない人が居るように)。

本当に素晴らしいモノを目にしたり手にしたとき、僕はえも言われぬ感動を味わうことができるし、心震えるような一種の畏敬の念さえ感じることができる。

そして僕はそういうものを買うことが良い買い物だと思っています。

実はこの感動を味わうという経験、僕の価値観の最も基本の土台となっている「健康」にも繋がっているみたい。

詳しくはベストセラー書籍「最高の体調」を参照して頂きたいと思いますが、「これはすげー!」と心の底から感嘆すること(=畏敬の念)は、健康や長寿に影響を及ぼしている可能性が研究から示唆されているそうです。

カリフォルニア大学の研究チームは言います。「畏敬の念には、炎症物質を適切なレベルに保つ作用がある。自然のなかを歩いたり、素晴らしいアートに触れたりといった活動は、いずれもポジティブな感情を引き起こし、健康や長寿に大きな影響を持つ」

最高の体調より

モノに心から感動できる僕はラッキーです。お手軽に良い気分になれるし、心身にとっても良い影響があるわけですから。

ただ、僕のパッションは素晴らしいものをコレクションすることではありません。良いものであっても、あくまでパッション・家族・お金・健康に悪影響を及ぼさない範囲で楽しむことが前提です。

だから「少しだけ、でも飛びっきり良いものを」なのです。

見つけたいもの

淹れ終わったコーヒーフィルター

さてさて、ここまでつらつらとミニマリズム論を述べてきた訳ですが(笑)

僕は無い前提で話してきましたが、ミニマリズムの「正しい目的」というのがもしかしたら存在するのかもしれません(聞いたことありませんが)。

ですが、仮にそんなものがあったとしても、正直僕はどうでもいいと思ってるんですよね。

だって、正しい目的や正しい使い方がどうであれ、僕はすでにミニマリズムをパッションに取り組む為の道具として使っているし、今の使い方で自分の思い描く人生に近づいていると実感しているから。

良い感じに進んでいるのだから、これはこれで良いのかなと。

ジョージジェンセン時計

繰り返しになりますが、重要なのは自分がどんな目的・どんな価値観でミニマリズムに取り組んでいるのか、はっきりさせておくということだと思います。

目的が不明確であれば、ミニマリズムを実践するうちにいずれ虚無感に襲われるでしょう。「色々減らしたけど、減らして何がしたかったんだっけ?」と。

また、価値観が曖昧であれば、本当は大切なものを捨ててしまうなど、誤った判断をしてしまうことになりかねません。

あるミニマリストの物語_本文

どんな目的でミニマリズムに取り組みたいんだろうか?
自分にとって何が大切で、どんな判断基準を持つべきなんだろうか?

そんな問いを自分に投げかけることで、僕は少なくともミニマリズムを知る前よりは、自分の人生についてちゃんと考えられるようになった気がします。

僕はこれからもミニマリズムと付き合っていきたいと思っています。同時に、自分の理想とする生き方とはどんなものなのか、引き続き考え続けていきたいです。

その積み重ねによってこそ、自分の本当に納得のいく生き方が見つかるのではないかと思うのです。

コメント

  1. まりも より:

    こんばんは、初めまして。こちらのブログをちょくちょく覗かせていただいている者の一人です。
    私にはモノに対する多少拘り+自分なりの秩序?こそあれ、定期的に断捨離しないといけないほどモノを溜め込んでしまう習性があるため、筆者さまの記事は非常に興味深く拝読しています。特に今回の、筆者様がミニマリズムというライフスタイルを採る目的についての記事はとても腑に落ちました。筆者さまにとって、人生においてより重要なことを成すためにはもってこいなスタイルなのですね。私が素晴らしいなと思うのは、それを非常に意識的に実践されていることや、極めて合理的でありつつミニマリズムのためのミニマリズム(それはそれでストイックですごいと思いますけれど)に陥ることがない点、良いモノにはしっかりとコストを掛け愛でておられる点です。
    私はまず小手先の断捨離ではなく、いかに人生を送るかをもう少し熟考するのが先ですね…。駄文失礼しました。今後も記事の更新を楽しみにしております。
    余談ですがウェストンのローファーは私も大好きなので嬉しかったです(笑)。

    • MINIMALOG(ミニマログ) ミニマログ|偏愛ミニマリスト より:

      はじめまして!過去一嬉しいコメント、本当にありがとうございます!
      実はこの記事、「これを公開したらどう思われるんだろうなぁ」と少し不安でもあったのですが、共感して頂けてすごく嬉しいです!
      嬉しすぎて小躍りしてます(笑)

      そしてウエストンお好きとのこと…!同じ好みの方と交流できるなんて、本当に嬉しいです!ブログやってて良かったです!(^^)
      引き続きよろしくお願いします!