僕は海外のミニマリストユニット「The minimalists」が好きで、ライフスタイルの参考にしています。
彼らのミニマリズムの中で僕が特に気に入っているのは、ミニマリズムと一緒に「パッション」というキーワードが一緒に語られているという点。
The minimalistsの本やブログを何度も読むうちに、僕の理想のライフスタイルが見えてきました。
The minimalistsのミニマリズム
僕がThe minimalistsを知ったのは「あるミニマリストの物語」という小説を読んだことがきっかけです。
この本はThe minimalistsのジョシュア・フィールズ・ミルバーンが、自身の体験を小説風に綴ったもの。
この本の中で僕の好きなシーンがあります。
それは、不満だらけの日々を過ごしていた主人公のジョシュアが、あるとき偶然ミニマリストのブログを見つけ、自分のパッション(情熱を持って取り組みたいこと)を思い出すシーンです。
僕は、ついさっき、「僕は一体何にパッションを燃やしているんだろう?」と自分に問いかけたばかりだ。そんなことを自問しなければならないこと自体が悲しいことだけど、今の今まで、そのことをほとんど考えもしなかったことはそれ以上に悲しい。
(中略)
コリンとは違って、僕のパッションは旅して回ることではない。旅に出ることを考えても、あまりワクワクすることはない。でも僕はレオと同じで、物を書きたいというパッションを持っている。22歳の頃からずっと小説を書いている。物語を何ページも何ページもつづってきた。人の心の中や人間味を描くこと、感性を通して真実味を表現することが楽しくて仕方ないのだ。
あるミニマリストの物語
「今の今まで、そのことをほとんど考えもしなかったことはそれ以上に悲しい。」
うーん、これは僕も身に覚えがあって、耳が痛い…。
さらにジョシュアは、ここで自分のパッションを思い出すと同時に、ショッキングな事実にも気づきます。
僕はずっと、家族と共に過ごすことや、運動をすることや、書くために十分な時間を作ることに時間を割くことが何よりも大切な優先事項だと言い続けてきた。だけど実際はそうなっていないじゃないか。本気で一番に置いて、日常のルーティンの一部としてしっかり行わなければ、本当の優先事項とは言えない。
あるミニマリストの物語
これ、僕も一緒だ…。
こうしてジョシュアは「これからはパッションを最優先にしよう」と決意するのですが、そこでミニマリズムが役立つかもしれないと気づくんです。
どうやら、僕がこれまで進んできた道のりは、僕にとって正しい道のりではなさそうだ。コリンやコートニーやベッカーやレオがそうだったように、もしかしたら、ミニマリズムが僕の助けになるかもしれない。自分の存在を否定することをやめて、ゴチャゴチャした事物を捨て去り、余計なものを取り除くことで、見晴らしがずっと良くなれば、正しい道のりが見えてくるかもしれない。
あるミニマリストの物語
この「パッションに取り組むために、ミニマリズムを活用するんだ」という流れが、めちゃくちゃ好きです。
なぜなら、僕もジョシュアと全く同じ状況だったから。
自分のパッションって?
僕もジョシュアと同じく「書くこと」にパッションを持っていました。
実は僕も、小学生の頃は夢中になって小説を書いていたんですよ。
きっかけは覚えてないですが、子供の頃から本が大好きだったので、自分でも書いてみようと思ったのだと思います。
それは、少年・ミニマログの純粋なパッションだったと思うんです。
でも大人になるにつれ、やらなくなってしまったんですよね。
パッションが無くなったわけではなく、「いつか本を出したい」という夢はずっと持ち続けていました。
ではなぜやらなくなったのかというと、余計なことにリソース(時間やお金や集中力など)を奪われて、パッションにリソースを割けなくなっていったからです。
僕の「余計なこと」
僕はわりと好奇心旺盛で、かつ興味を持ったものはとことん追求してしまうタイプです。
例えば革靴にハマったときは、店舗を巡ったり実際に買ってみたりして、各ブランドの特徴や商品を知っていくのはもちろん、紳士靴の歴史や革の素材の勉強をしてみたり、靴磨きの練習をしてみたり。
最終的には足の骨格や構造まで学んでいました(靴作り教室に通うことも検討してましたw)。
革靴を例にしましたが、僕の興味の対象は広いので、靴以外のファッションもインテリアもコーヒーなんかも全部そう。
広く深くハマっていく。
趣味だけならまだ良いんですが、それと同時に土日も仕事するなど、仕事面でもハードワークしてました。
そりゃ時間やお金といったリソースが無くなるわな、といった感じです(笑)
でも、興味とパッションは違うんですよね。
本を読んでそれに気づいたので、僕もジョシュアと同じようにパッションにリソースを割くべく、余計な部分は少しずつ減らしていきました。
といっても趣味や好きなものをゼロにしたわけじゃなく、「あくまでリソースを圧迫している余計なもの」を捨てていった感じです。
面倒を見切れないなと思った数の靴は処分したし、僕の生活に価値をもたらしていないなと思ったものは捨てていった。
趣味とか以外の細かい事例で言うと、例えばベッドを捨てて寝袋にしたのも同じ考えです。
ベッドでゴロゴロして、気づいたら1日が終わってた…みたいなこともあったりして、そんな時間の無駄遣いを減らすために、思いきってベッドを捨てました。
ベッドでダラダラ過ごしちゃう時間は、僕にとっては「減らすべき余計なこと」だったから。
そうしてリソースに余裕が出てきたので、僕はパッション=「書くこと」を再開し始めました。
ブログやTwitterを始められたのも、その一環です。
いかにパッションを見つけるか
ミニマリズムで浮いたリソースを、どこに投下するのか。
これをはっきりさせる為にも、自分のパッションを見つけておくのは大事だなぁと思うわけです。
だって、ミニマリズムで余計なものを減らすだけ減らした後、余ったリソースの使い道がわからないなんて、虚しいでしょう?
でも、そのパッションを見つけるのが難しい。
僕は「書くこと」にパッションを持っているのは間違いないと思うんだけど、「本当にそれだけがパッションか?」と言われるとちょっと自信がありません。
自分で気づけていないだけで、他にもあるのかもしれない。
自分のパッションって、誰かが教えてくれるわけでもないし、じっと待っていれば自然と見つかるってわけでもなさそうです。
じゃあどうすればいいかと考えると、自分のパッションのヒントを見つけるには、結局自分自身にハードな問いを立ていくしかないのかなと。
例えば、
- 自分の人生において大切なものは何か?
- どういう人物になりたいのか?
- 自分にとって成功ってどうなることなのか?
みたいな、ぱっとは答えられない超ド級の重たい問いです。
完全に自己啓発系のセミナーとかで出てきそうな問いですが(笑)
でも、一見バカにしちゃいそうなんだけど、いい大人にもなってこれに答えられないって、それはそれで悲しくないか…?
思わずジョシュアの言葉を思い出してしまいます。
そんなことを自問しなければならないこと自体が悲しいことだけど、今の今まで、そのことをほとんど考えもしなかったことはそれ以上に悲しい。
僕も一度、ハードな問いと向き合ってみる必要がありそうです。
そこでどんな問いを立てるのが良いのかなーと考えてたわけですが、最近いい感じのものを2つ見つけました。
少し前にパレオさんがメルマガで紹介していた「ライフストーリー法」という手法と、「スタンフォード式 人生デザイン講座」って本です。
1つ目のライフストーリー法の方は、名前のとおり、自分の人生で体験してきたことを振り返り、徹底的に過去と未来を掘り下げていく自己分析手法。
簡易版もあるようですが、正式な方法はめちゃくちゃ長大なものらしく、メルマガで詳しく紹介されていました。
もう1つのスタンフォード式人生デザイン講座の方は、スタンフォード大学で実施されているライフデザイン講座を本にしたものです。
この本は少し前に軽い気持ちで読んだんですが、超ハードな質問が並ぶ内容で面食らいました(笑) スタンフォードの学生はこんなハードな問いと向き合っているのか…。
どちらもハードですが、この2つをちゃんとやったら、何か新しい気づきが得られるかもしれません。
僕は今年、30日チャレンジと称して毎月新しい習慣を30日やり続けるってのをやっています(1月は「日記を書く」、2月は「1日1冊以上本を読む」、をやっていて今も両方継続中)。
3月は「ライフストーリー法とスタンフォード式人生デザインに毎日取り組む」ってのをやってみようかなと思います。
やる前からわかるけど、絶対キツイよこれ(笑)
でも、やる価値は大いにありそうです。
僕の理想とするミニマルライフ
僕はThe minimalistsのジョシュアみたいなミニマリストがカッコいいなと思っているのですが、そう思うのは、僕と彼の年齢や境遇や志向が近いからという理由だけではなさそうです。
改めて惹かれる理由を考えてみると、彼が「ミニマリズムとパッションをセットで実現している」からかなと思いました。
そして、そういうライフスタイルが、僕にとって理想なんじゃないかなと。
というわけで、僕もそんな理想のミニマルライフを目指して、ミニマリズムを実践しつつ、色々考えて試して、自分なりのパッションを育んでいきたいと強く思います。
ミニマリズムで余計なものを減らして、その分、自分が情熱を捧げられることに全力で打ちこみ、充実した手応えを感じながら毎日を生きる。
そんな人生、楽しいに決まってると思うから。
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