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クラシックシェービングに学ぶ偏愛学

両刃カミソリとシェービングブラシ クラシックシェービング

最近クラシックシェービングにハマっているんですが、だんだんスキルが上達していくにつれて、ちょっとした変化が現れました。

クラシックシェービングをやり始めた当初は分からなかった、替刃の個性や上手く剃るコツなんかが分かるようになってきて、さらに楽しくなってきております。

この体験から思いがけず良いことを学んだ気がしますので、ブログに書き記しておきたいと思います。

知覚できる楽しさ

ミューレロッカとシェービングソープ

クラシックシェービングの技術が向上していくにつれて、知覚できることが増えてきました

例えば、替刃の個性。

世の中には100以上の両刃カミソリが存在しており、色んなブランドの替刃を試すことができるのはクラシックシェービングの醍醐味の1つです。

僕はこれまで13種の替刃を試してきましたが、クラシックシェービングを始めた初期の頃と今とでは、感じ方が全然違います

最初はぼんやりと「何となく違うかな」と感じる程度だったのですが、今ではよりはっきりと替刃ごとの個性の輪郭が感じられるようになりました。

違いがよりわかるようになったことで、替刃選びをさらに楽しめるようになりました。

これはおそらく、シェービングのスキルが上達したことによるものでしょう。髭を剃るときの力加減や角度のばらつきが無くなり、安定してシェービングできるようになったことで、替刃の違いを感じやすくなったのだと思います。

替刃だけでなく、シェービングソープの使いこなし方や剃り方にも変化がありました。

ラザリングの技術が安定してくると、やはりシェービングソープごとの違いもより鮮明にわかるようになってきます。

アグレッシブに追い込んで剃りたいならこのソープ、パス回数は最小限にしてサクッとさっぱり剃りたいならこのソープ、みたいに用途に応じて使い分けることができるようになりました。

ソープとアフターシェーブ

剃り方も色々試して、髭の生えている向きや刃を当てるべき方向の理解が深まりました。

今では「Lite逆剃り」という独自テクニックも編み出し、完全に自分専用にパーソナライズした髭剃りを楽しんでおります。

いずれも経験を積んでスキルが向上したことによって、新たに知覚できることが増えていった結果であります。

時間をかける価値

カミソリとブラシとラザリングボウル

この体験で思い起こされたのは、「少し時間をかけて、努力しなければ手に入らない楽しさ」というものがあるということです。

初心者の状態では簡単に感じることのできない楽しさ、知識やスキルや思考を深めて初めて見えてくる面白みというものがあるなぁと。

わざわざ時間をかけてクラシックなシェービングをする価値は、ここにあると思います。

一般に、髭剃りは面倒で退屈な作業だと思われていることが多いと思います。

できるだけ時間をかけずに済ましたいと思って、電気シェーバーでさっと剃ってしまう人もいれば、髭剃り自体を無くす為にヒゲ脱毛しちゃう人だっているでしょう。

髭剃り=無駄な時間、みたいに思われていることが多いんじゃないでしょうか。

僕も以前はそう思っていました。が、今は違います。

その無駄と思えるような時間の中に、やり込み要素みたいな独特の楽しさが眠っていることを発見しました。

その楽しさはお宝のように隠れているから、初見ではなかなか発見できません。見つけるには、注意深く観察しながら経験を積み重ねていくしかない。

この楽しさを発掘していくプロセス自体もまた楽しさの一部なのですが、いずれにせよこれは「じっくり時間をかけて取り組まないと体験できない楽しさ」なんですよね。

時間をかけずに体験できるインスタントな楽しさ」とは種類が違います。

無駄な時間と切り捨てられがちな髭剃りの中に、このような知る人ぞ知る楽しさが隠れていたとは思いもしませんでした。

タイパ・フィルタ

Barrister and Mannのアフターシェーブバーム

タイパという言葉をよく見聞きするようになりました。
※タイムパフォーマンスの略。

シェービングに限らず、何をするにしても「いかに効率よく時間をかけないか」といった点がより重視され始めているのでしょうか。

映画やドラマは倍速&飛ばし観で視聴し、食事はミールキットで済ませ、学習は要約やまとめ動画でサッと済ます。

僕は基本的にタイパという考え自体は別に良いと思っていますから、それはそれで結構なことだと思います。

しかし、タイパというフィルタで物事を見始めた結果、非効率と思えることに目が向かなくなってしまうのはちょっと勿体無い気がします。

なぜなら、その非効率と思えるものの中に、そこでしか体験できない固有の楽しさがあるかもしれないからです。

とくに特殊な知識やスキルや学習が必要な体験であるほど、そこに固有の楽しさが眠っている可能性がありそうです。クラシックシェービングはまさにその例の1つでしょう。

タイパを意識しすぎて、インスタントで効率よく体験できる楽しさばかりに手を伸ばしていると、こういうものを見逃してしまうんじゃないかと思うんですよね。

僕もどちらかというと効率が良いものに目が向きがちだから、たまに自問しておきたいところです。

タイパ悪いと思って切り捨てたものと一緒に、自分の人生に欠かせない楽しさまで捨てていないか?」と。

偏愛をディグる

両刃カミソリとシェービングブラシ

非効率で面倒に見えるものの中にも、思わぬ楽しさが潜んでいることがあるというのは良い発見でした。

努力して労力をかけて、ひたすらディグっていくと到達できる楽しさ。

そういう楽しさは、簡単には体験できないものだからこそ、見つけたときの喜びも大きいです。

自分だけの楽しさというのは、何事にも時間をかけない人生ではなく、何かに時間をかけた人生の中で見つかるものなのかもしれません。

そうやって手に入れたものこそ、偏愛と呼ぶにふさわしい趣味だと思えます。

コメント

  1. KOH より:

    髭に関しては顔に合わないとよく言われる、
    自身もそう感じるので脱毛考えたくなるタイプなのですが…
    まさに偏愛を愉しまれている熱量が文から伝わり
    ここ最近のモダンクラシックシェービング記事、愉しみです!

    自分の話で恐縮ですが、自宅でのラテアート練習に通ずる
    拘りの世界があるなぁと感じつつ読んでました。
    極論、ラテもお腹に入れば一緒なのですが笑、
    時間を掛ける事で美味しさに芸術的な愉しさも付加出来たり
    取り組みの知覚的発見、抽出・攪拌・注ぎへの思考。珈琲器具の追及。

    3年程取り組み基礎すら上手くいかず最近挫折しかけてましたが、
    ディグる事で次のステップへ到達する愉しさを思い出し
    改めて頑張ろうと思いました!

    • MINIMALOG(ミニマログ) MINIMALOG(ミニマログ) より:

      >KOHさん
      コメントありがとうございます!
      髭は本当に人ぞれぞれ違いますもんね〜。生やさないなら脱毛も全然アリだと思います!

      コーヒーやラテアートもまさに、技術を磨いていくとどんどん楽しくなっていく趣味ですよね!
      僕もここ最近は抽出方法や飲み方が固定化しちゃってましたが、また新しい方法でも試してみようかな…。
      時に壁にぶつかったりもしますが、そんな中で試行錯誤していくプロセスもまた、楽しいですよね〜!