先日、友人からこんな質問が送られてきました。
「一生モノについてどう思うか?」と。
なんだ急に、と思いながらその時は適当に返信したのですが(笑)
思い返すとこれはなかなか面白い問いだなぁと思ったので、少しちゃんと考えてみることにしました。
というわけで今回は再考シリーズ第8弾、テーマは「一生モノについて」です。
一生モノなんて無数にある
この記事では「物質的な一生モノ」について考えを巡らせていきたいと思います。
話がややこしくなるので、「一生の思い出」や「一生の友情」など、無形のものについては、今回は考察の対象外としましょう。
「一生モノ」と言うと、一般的にはどういったイメージがあるのでしょうか。ちょこっとだけググってみました。
ググってみて気づいたのは、ネット上では主に以下2パターンの記事が観察されるということです。
- 「一生モノを買おう」と言っている記事
- 「一生モノなんて無い」と言っている記事
いずれの場合も、一生モノというのは滅多にあるものではないという方向性で書かれていることがほとんどであるように見受けられました。
「一生モノ=そう簡単には見つからないもの」というのがよくある一般的な認識なのかもしれません。
しかし僕はそれの逆、「一生モノなんて無数にある」という立場で、一生モノについて論じてみようと思います。
一生モノの特性
一言に「一生モノ」と言っても、いくつかの種類がありそうです。
一生モノについて共通に認識されている明確な定義はなさそうなので、最初にこの辺を整理しておきたいですね。
そこで、まずは一生モノになり得る特性を列挙してみましょう。
ざっと思い付くところで、5つほどありそうでした。
耐久性
「一生使えるほど丈夫なもの」がこれに当てはまります。
例えば僕の身の回りにあるもので言うと、STAUBの鍋なんかが当てはまるでしょうか。
これは言ってみれば鉄の塊なんで、耐久性という観点から見れば一生使えるレベルのポテンシャルを十分に持ち合わせているように思います。
もう少し身近な例だと、結婚指輪や婚約指輪なんてどうでしょう。
一生同じ指輪をし続けている人って、探せばそこそこ居るのでは?
利便性
「一生使い続けたいと思うほど便利なもの」です。
耐久性の有無は関係ありません。
壊れたり使い切ったりしたらまた同じものを買い続ける、みたいなものなら一生モノと言っても差し支えないでしょう。
具体例を挙げるとそうですね、今さっき料理の際に使用したMicroplaneのおろし器は当てはまるかなぁ。
これあまりに便利すぎて、もはや他のおろし器を使う気になれないんですよねぇ。
もし刃がダメになったら、絶対また同じのを買うと思います。
希少性
「一生に一度しか出会えないもの」です。
例えば僕の持ち物で言うと、ロシアンカーフのキーホルダーなんかはこれに該当します。
これは1786年に沈没したポーランド船から引き上げられたロシアンカーフと呼ばれる革で作られたものなんですが、この革は技法が消失しており、現在では作ることができなくなっています。
それゆえ大変貴重な、僕にとっては一生モノと呼べるアイテムとなっています。
想起性
「何らかの思い出や思い入れが付加されており、一生とっておきたいと思えるもの」です。
卒業アルバム、旅行のお土産、使い古した道具…。
どんなものかは人によって違うと思いますが、何かしら思い出の品をお持ちの方は多いのではないでしょうか。
僕の場合、こんなのを持っています。
ボロボロのキーケースですが、これは僕が20歳の時に手にした人生初のブランド物です。
それまで高級ブランドなんて縁遠い存在でしたが、これを手にしたとき、初めて大人の階段を登った気がしました。
さすがにもう使ってはいませんが、大人になった記念というか、初心を思い出すアイテムというか、思い出深い品として今でもとってあるんですよね。
偏愛性
簡単に言えば「大好きで、特別に愛しているもの」です。
僕の場合、ジェイエムウエストン180(ローファー)なんかがこれに当たります。
このローファーは丈夫ですが、一生使えるほどの耐久性があるわけではありません。
また、希少なわけではないので店に行けば普通に買えますし、特別便利な靴であるということもありません。
それでも一生モノと言えるのは、個人的にこの靴がめちゃくちゃ好きだからなんですね。
僕はこの靴が「一番綺麗だなぁ、カッコいいなぁ」と思っていて、特別に偏愛しているわけです。
修理しながらずっと履き続けるつもりですが、修理すらできなくなったら、また同じものを買うでしょう。
一生モノの確度
さて、上で5つの特性を挙げましたが、「そういう特性があったとしても、本当に一生モノになるかどうか分からないじゃないか」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。
例えば、「利便性が良かったとしてもそれ以上に優れた製品が登場するかもしれない」とか「偏愛性があっても将来好みが変わるかもしれないじゃないか」とかですね。
それはその通りだと思います。
未来は不確実性が高いので、そういった可能性は否定できません。
しかし、これが複数の特性を持ち合わせているモノだったらどうでしょう?
例えば、利便性と偏愛性の高いアイテムがあったとして、将来利便性が失われたとしまします。
そういう場合でも、偏愛性が残っていれば手放さないはずです。
「多少不便でも、好きだから使い続ける」ってパターンはあり得るでしょうからね。
逆に偏愛性が失われた場合、利便性が優れていれば「そこまで好きじゃないけど、便利だから使い続ける」ってパターンもあるでしょう。
何が言いたいかというと、複数の性質を兼ね備えているほど、真に一生モノとなる可能性が高いのではないかということです。
というか、真の一生モノは複数の性質を兼ね備えているモノなのかもしれません。
究極なのは、5つの特性を全て満たしているものでしょうね。
実はそういうものもちゃんと存在しています。
僕の持ち物で言うと、アンティークシューホーンなんかがそうです。
これは100年以上前に作られたものですが、今だに現役で使えるほど耐久性が高く、持ち運びしやすくて使いやすく利便性に優れ、全く同じものは存在しないんで希少性も高いです。
また、使う度に英国の貴族を想起させられて常に紳士的でいようという気にさせられますし、デザインの美しさに惚れ込んでいるので偏愛レベルも高い。
全ての特性を満たしています。
こういったものは、極めて確度の高い一生モノと言えると思います。
だからこれは絶対手放しちゃいけないやつ。
主観的指標
一生モノの確度について紐解いたところで、今度は「一生モノが無数に存在する理由」について述べていきましょう。
理由は2つあります。
まず1つ目。
お気づきかもしれませんが、上で挙げた5つの性質は、さらに客観的なものと主観的なものに分類できます。
客観的 | 主観的 |
---|---|
耐久性 | 想起性 |
希少性 | 偏愛性 |
利便性 |
一生モノが無数にある理由の一つは、上記のように主観的指標が存在するからです。
主観的に考えれば、極端な話、何だって一生モノになり得てしまいます。
傍から見ればただの壊れたガラクタであっても、当人にとっては一生大事に持っておきたい思い出の品になり得ますよね。
巷で「一生モノ」と謳われているものだけが一生モノではないのです。
無意識の一生モノ
実は、これまで述べてきた一生モノとは全く異なる種類の一生モノも存在します。
それは「無意識の一生モノ」です。
別な言い方をするなら、「無意識に、意図せず、偶然にも一生モノになっちゃったもの」でしょうか。
そしてこれこそが、一生モノが無数に存在すると言えるもう1つの大きな理由です。
僕がよく参考にしているアメリカのミニマリスト・Joshua Fields Millburnさんのエピソードにこんなのがあります。
内容はかなり端折っちゃいますが、要約すると「亡くなった母の遺品を整理しに自宅へ行ってみたら、ものすごい量の私物があって途方に暮れた」というもの。
その私物の中には、着てもいない服や、無数の装飾品や、Joshuaの小学生時代のテストの答案用紙なんかまであったそうです。
想像ですが、家に溜め込んでいた当人には、これらが一生モノであるという意識は無かったんじゃないでしょうか。
片付けや整理を後回しにして何となく放置していたら、図らずも一生モノになっちゃった、という表現の方が近いでしょう。
こういう事例って、世の中に山ほどありそうですよね?
そして、こうも思うわけです。
「押入れの奥にしまい込んだあのアイテムは、無意識の一生モノに成り果てていないか?自分もそういう無意識の一生モノを持っちゃっていないか?」と。
豊かさの基準
そろそろまとめに入りましょう。
ここで、あなたも真の一生モノを持っていなければダメだとか、無意識の一生モノは処分すべきであるなどと言うつもりはありません。
そんな提言をするほど、他人の持ち物に興味がない(笑)
何を持ち、何を持たないかなんて、個人の自由でしょう。
その前提で聞いて欲しいですが、僕個人の意見を言うと、やはり使いもしないし気にもかけないような無意識の一生モノは、持っていたくないなぁと思います。
そんなものより、もっと意味や意義のあるものを持っていたい。
「大量の無意識の一生モノ」ではなく、「少しだけ、でも飛びっきり良い一生モノ」を持っていたいと思います。
モノの数としては後者の方が少ないけれど、後者の方がより豊かな生き方であるように感じられるんですよね。ま、これもあくまで僕個人の感覚の話ですが…。
年の瀬でちょうど良い時期です。
年末に大掃除でもして、改めて自分の持ち物を整理しようかと思います。
コメント
一生モノ…一言で言っても
色々な意味・表情があって難しいし
それが愉しさでもある気がします。
極論、”一生”とすると死ぬその時までわからない。
という側面もあるし、実際その意気込みで迎えても
急に嗜好が変わる事経験しているので…
自分の場合はまず10年選手なしっくりのスタンスで
心に刺されば納得いくまで調べて考えて迎え入れ
(…一目惚れ衝動買いもまだありますが笑)
迎えて本当に良かった。またはこれは違ったなぁと手放す等
未だ試行錯誤し探しているような所です。
耐久性・利便性のブラッシュアップの段階で、
希少性・偏愛性のあるモノはその中から自ずと出てくるのかな…。
こんな風に拘り出したのが30超えてからなもので笑
気をつけているのは
●無意識の一生モノを増やさない事
(↑金銭的・思考的にも割いてられない)
●手放すにもパワーが要るので迎え入れには具体的用途シーンを
思考・細かい気になる点は解消の上迎え入れる事
(↑例えば服の手入れ方法、レイヤード時やバッグ収納力等
超具体的なサイズ感、色味 etc…)
●経年変化や育てる、ミニマムやシンプルという言葉に滅法弱いけど
そこにばかり固執しない・流されない事
(↑とは言いつつ、Ten Cというブランドのパーカーを検討中笑)
…一生モノって奥深いですね〜
一方、無形の一生モノ。
こんなに拘りがあると心のバランスが難しく、
この先 一生のパートナーと出逢えるのかな?
も、ふと頭によぎる独身貴族35歳 苦笑
KOHさん、あけましておめでとうございます!コメントありがとうございます!
急に嗜好が変わる…わかります、あるあるですよね!(笑)
おっしゃる通り、悩んで、時に失敗してといった経験を積み重ねることで、偏愛性や想起性が育まれていくのかもしれませんね〜。
記載頂いた3ヶ条はどれも同意します!
Ten Cのブランドコンセプト、良い感じですよね。実物を見たことは無いのですが、素材感や使用感を見てみたい気持ちです。
最後のそのオチはずるいです!(笑)
あけましておめでとうございます。
Ten C は受注会で試着しましたがバブアー好きなら
間違いなく刺さる素材感でした!
シュッと洗練された、より都会的バブアーでしょうか?
ネックは価格帯のみという感じですね〜
あと迎えたら一生ガチで使うというか試したい意気込みなので
どのモデルがしっくりくるのか、季節感を考えると何色?
等を悩みすぎて決断できない感じです笑
結局悩んでいるanorakとcyclone、もし片方迎えてしっくりきたなら
最終的にどっちもいきそうですが…
実際迎えた方でそういう人もいるそうです。
結構ガチな悩み・疑問でもある
拘りを愉しみとする人種の恋愛観などと嗜好の折り合い…笑
電撃が走るような方と出逢えたら
自身も変わったりするんでしょうかね?笑
ご返信遅くなりました!
詳細ありがとうございます〜!一度実物を見てみたくなりました!
うーむ…それはいずれ再考シリーズで再考すべきネタかもしれませんねw
難しさはよくわかりますw